そもそも我々外国人はこの国に働かせてもらっている立場であることは、僕も折に触れて自分に言い聞かせる意味でもミニにタコが出来るくらい書いていますが、矢張り、働かせてもらっており、そこにいるカウンターパートに対してあらゆる技術、能力などの移転するコトが求められている以上は、移転する方法は言葉かカラダか程度しか無いもので、言語能力に一定の線を敷かれるコトは致し方ないとも感じます。
一方で、ではビジネスをするに当たって、作業員指導をするに当たって、特殊技能をカラダに叩き込むに当たってどの程度の言語レベルをお国が求めているのかがサッパリわからない、なんか上辺だけグチャグチャ言ってて中身のなさそうな話にも思えて来るような、本当にやるの?やんない(よーやれない)んじゃないの?基準値は客観的にみて問題無いものなの、とか思えて止みません。
また、UBMことブロックM大学夜間学部に一時期通学していた身からすると、所謂インドネシア語検定とかに出てくる言葉、表現を超えた日常会話にこそ、スムーズなコミュニケーションがあり、多少文法がおかしかろうが、単語のスペルわからなかろうが、なんとかなるんですよ。
そもそもsupirが正しいのかsopirが正しいのか、Novemberが正しいのかMopemberが正しいのかも良くわからない、インドネシア人の間ですら分かれているようなまだまだ若くて進化中の言語ですから。
かくいう日本語も、チョーとか本気と書いてマジと読むとか、まぁいろいろ変わって行ってます。
マトモな例では、ら抜き言葉なんか最たるものです。
何が言いたいかと言うと、インドネシア語検定も受けたこと無い僕は残れるのか?という一抹の不安と疑問を持ちつつ、こうやって言葉はできないけど能力ある外国人を排除するならば、インドネシアの発展に大きな阻害要因となるであろうということです。
だから、テストは簡単なテストにしてね、ということでもあります。
さようなら、がSelamat Jalan, Selamat tinggalと書かれている教材だらけの国から来たものとして。。
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