2014年8月19日火曜日

言葉と仕事と僕自身と

たまには真面目に仕事をしているということも含めてものごとを書いてみようかな。

僕は3年ほど前に突如として自分の人生で全く関わりの無かった、そして今後も無いだろうと勝手に決めつけていた海外生活をここジャカルタで始めたのですが、その時は酷いものでした。
僕と周囲とのコミュニケーションは全てターザン語。何を言っても伝わりません。
そりゃそーですよ、インドネシア語はジャカルタへくる直前に10日ほど突貫でやった程度、たとえ日常の思考を可能な限りインドネシア語化していてもまだとても喋られるような状況じゃありませんでした。
かたや英語は大学受験をピークに無縁の日々、大学の授業などお遊び程度でそこで英語を修得、さらに伸ばそうなどという気運はさらさら無く就職後は輪をかけて英語と無縁の日々でした。
そのような状況下、中学校でMy name is...から学んできた英語を喋る機会はいよいよ会社の慰安旅行でハワイへ行くまで10年以上略ゼロ、それはそれは英語などナニソレという状況での来尼でした。
もっとも、当時の募集要項に「英語 初級」とあったことに甘えていた自分のせいでもあります。

では、今はどうなのか。
恥ずかしながら、客観的な指標を取得することが今まで出来ておらず、いや、それに対する意欲があまりにも中途半端であった為取得しておらず、例えば実用インドネシア語検定で果たしてC級程度なのかB級程度なのかも全くわかりませんが、それでも狭い領域の中での会議や議論は基本インドネシア語ベースで組み立てて行なっております。
昨日も戦略説明なるものを部内展開しておりましたが、インドネシア語資料作成にプレゼン30分間も勿論インドネシア語、質疑応答も基本インドネシア語。
残念なことに日本語でも言葉足らず舌足らず頻繁なのがインドネシア語では語彙力の不足も相まって、ネイティブのスタッフから適宜補足説明を入れて貰ってますが。

この程度、まだまだ誇るに足らない程度、更には体系だてて勉強してないのでこのレベルならこの単語は知っていて当然、なんて単語も知りません。
だって、日常使わないから覚える必要が無い。
ローカル病院でもハンドサイズの辞書とGoogle片手に何とか疎通しますし。

ただ、ここまで来るとあとはヤル気がないとなかなか伸びないですね。
検定でも取ろうか、という気にならないと。。
検定の手続きが面倒臭くて出来ないとバカなことを言っている間は伸びないんだろうなぁ。


かたや英語も、インドネシア語の補助言語として日本在住時よりも格段に使用頻度は高まっており、また此方を外国人と見るやいなや英語で話しかけてくるインドネシア人たちのおかげで、喋る聞くチカラは多少は伸びているのではないでしょうか。
最近では何故か欧米の方とも話をする機会が増えていますし。全然通じないし自分の言いたいことの3割も言えてないけど。
なまじインドネシア語ができるようになると英語を使わなくなるのはこの街で生きていて困るところ。
フィリピン、シンガポール、マレーシアあたりの周辺各国に数日間缶詰にされたら英語脳になれるかな。

これは仕事で日本人、インドネシア人双方に向けて英語でメールや資料を書いているだけでは全く足りないです。

これが出来れば次ステップはもっと明るいものになるのかなぁ、と思う反面、言語はあくまでもコミュニケーション「ツール」でありそれ以上にはなり得ない事実もあるのです。

正直、サラリーマンしてない人たちが羨ましいです。
それは、組織にとらわれずとも自分に自助努力しそれで生計を立てるスキルがあるということで、つまりは我々が持ち得ないものを持ってそれを活かして糧としているわけで、明確に「俺にはこれができる」というものがあるのですよね。
たまに勘違いして相手が会社の傘のお陰で付き合ってくれていることを見抜けずにいるのですよね。
僕も今居る会社組織から外れたらただの野良であり、何も持たない者でしかないのです。
そういう意味で、彼らには羨望の眼差しを投げ掛け、心より敬っております。
それは、ただサラリーマンシステムで其れなりの地位にいらっしゃる方々以上に。(彼らについても地位を心から敬わなくても人柄を敬うことは勿論素直にしておりますよ、念の為。)

いつか僕自身がこのシステムから外れたら、僕はどのように、どれだけ自分の価値を創り出せるのかと、それにより何を遺せるのかと、朝の通勤路で頭を整理しながら書いて見てます。

推敲はしないので理論矛盾などなどあるやもしれません。。。

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