2013年7月31日水曜日

次の人を想う

今日は珍しく作業着を着て現場に入って半日ほど汗だくになってきました。

先日現場を見て回っていると、その場だけ良ければ良いと言うような仕事の痕跡をいくつか見つけたもので、現場作業員と問題意識をシェアするべく立ち上がりました。

うぇっ、なんかどっかの新聞で連載されている現場作業員がミスを認めないから俺がコテンパンにのしてやったぜ~風なみたい。

私は現場責任者を呼んで私の感じた問題点、疑問点などを率直にぶつけてみたところ、彼も同様に問題であると認識し、翌日作業チームをつくりリーダー格以下関係作業員を集めてブリーフィングを行うこととなりました。

その場で私はあるひとつの問題の状況を見せながら何度も「この状態で物が置かれていると、次に同じものを取りに来た人はどう感じますか?」「この状態のまま棚卸の時期を迎えたら、検数者はどのように数えますか?」などと、彼らの仕事は彼ら自身で完結するものではなく、その次もまた別の作業者がいることを説いたのです。

実は、事前にこの話を現場責任者にしたところ、「日本の文化だ」と彼は言ったのです。

確かに日本では「次に使う人が不快な思いをしないように」と顔も知らない人のことを思った行動をあまり意識せずに行う文化ができています。

しかし、この問題は文化の違いで片づけられる問題ではなく、彼らの自分勝手な行動がひいては客先でクレームとなり、それが自社の別のスタッフの手を煩わせ、本来しなくてもよい仕事の為に無駄に儲からない忙しさを産んでしまう悪しき循環の根っこであることを彼らは認識せねばならないと感じたのです。

自らの忙しさにかまけてついついその場の自分の作業は無難にこなしても、次にその作業をする人に無駄なひと手間、ふた手間をかけさせてしまう、見た目が美しくなくいらぬミスを招く元凶となりえるのであれば、今そこで作業している自分自身が最低限の事後ケアをして次の人にバトンを渡せるようにしてあげようと説きました。

私が日本で働いていた小さな現場では先輩が後輩に対しこのような点があれば適宜指導しておりましたが、現在のような大規模な現場ではその場でちょこまかと対処しても抜本的解決にはならず、若干大げさに、個人攻撃をしないよう全体に問いかけ、指導します。

このような小さな改善、指導を積み重ねていったものがその現場の文化として根付き、現場で伝授してゆき作業員が彼ら自身でベターな方策を見つけ出せるようにしてゆくのも、次の世代を想っての行動なのかもしれませんね。
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